今年は太宰治の生誕より100年だそうです。
太宰治は、今の時代でも特にファンの多い作家ですよね。
私はそんなに好きではないのですが、何冊か持っています。
少し前に厭世的な気分になることがあったので、こういう気分の時に人は太宰を読むのかと、試しに読み直してみたのがこの、「斜陽」です。
太宰治が生きた戦後を舞台に、没落貴族の家族が静かに破滅していくさまを描いた、「斜陽」。
そう長くない作品なのであっさり読もうと思っていたのですが、気付けばゆっくりとしか読み進めていませんでした。
物語は、母と姉弟で構成されるこの家族の、姉・かず子の視点から語られます。
最後の貴婦人である母、お嬢様らしい世間知らずのまま出戻ってひとり恋と革命を夢想するかず子、偽悪の思いに憑かれ麻薬と酒に溺れる弟・直治…
何もかもが混沌としどこか暗い生きるパワーに満ち溢れていたはずの戦後の世の中の陰で、貴族という美しく不自由なまるでつくりもののような人種が、たんたんと滅びてゆきます。
破滅的などとも言われる太宰治ですが、ここに描かれるのはまさしく、滅びの美学です。
斜に構えて物事に接する癖のある私は、そういった退廃的・デカダンと称される作品は、つい冷ややかな先入観で迎えがちでした。もっと言うと、その多くは不健康な自己愛の薄っぺらい表現だと感じていて、好きではありませんでした。特に頭でっかちな若い頃は。
ですが、この「斜陽」を再読して、自分の浅さを思いました。
太宰治の滅びの美学は、私の思う退廃的とはまた、違うところにあったのです。
私にとって退廃的とはこれまで、猥雑さや生への嫌悪、人間や社会の醜さ故の歪んだ魅力といった認識でした。
ですが、「斜陽」にあったのは、人というものの無垢さや生の脆さ、人間や社会の弱さ故の切ない魅力、でした。
美しさ、でした。
解説ではないのでこれ以上は語りませんが、いかに言葉を並べようがこの作品を実際に読まないと伝わらないし味わえない。それが文学なのでしょうね。
ストーリーの面白さやキャラクターの良さなどと言った小説の美点とは、正反対の位置にある感性の作品です(これを理詰めで書いていたらその方が凄いですが)。
学生時分に読んだなぁと思われた皆様も、生誕100年の今年、ゆったり太宰治を読んでみませんか?
かたむいた陽が美しい色を残しながらやがて消えていくように、滅んでいった貴族という人種を描く美学、
「斜陽」。
本を読む人で、本当によかった!
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