先週書きました、サリンジャーの本です。
「ライ麦畑でつかまえて」で高名な米国の小説家J・D・サリンジャーが、今年の初めに逝去されました。
追悼にご紹介しようと思いながら早や半年。。。
初志を貫いて取り上げます。
サリンジャーと私との出会いは、高校1年生の時。
当時ほのかに好きだった男の子が、ライ麦畑が好きと言っていたのを小耳に挟んで、その日の放課後に近所の本屋で買ったのでした。
その後、現在まで「ライ麦畑でつかまえて」は私の本棚に並び続けていますが、実は私そこまで好きではないんですよね。(もちろん傑作だとは思うのですが)
サリンジャーをご紹介するにあたって、大人になった今再読すれば良さを更に感じるかもと思いましたが、やはりついつい何度も読んでしまう大好きな短編集の方をご紹介します。
1953年に出版された「ナインストーリーズ」。
数多く書いた短編の中からサリンジャー自身が9作だけ選んだ、自選短編集です。
どの作品もを非常に愛する私は、さてどのようにこの短編集をご紹介しようかと悩みます。
サリンジャーは自分の作品に解説や後書きなどが付けられるのを頑なに拒んでいたそうなので、その意図するところに従えば、先入観などまったく無しにぜひこの小説群を読んでください、と言うべきでしょうか。
言うなれば、繊細で脆い心─ぴったりくるような言葉を選ぶなら「無垢さ」でしょうか─が翻弄されるさまを、でもどこかに光明を持って描いた作品たちです。
無垢、あるいイノセンス、などといった言葉は、しばしば童心つまり「子供心」のようなイメージを持たれます。
そのとおり、サリンジャーの作品は童心を取り巻く世界が描かれるのですが、子供心=子供が持っている心、ではないです。
ライ麦畑がティーンエイジャーのバイブルみたいな扱いなので、ついつい多感な時期の青少年対象の作品な気がしてしまいがちなのですが、私はどちらかと言うと、大人の中の何重にも包まれた底にある子供心に訴える作品だと思ってます。
つまり大人にとって、「かつては持っていて今は失った子供心」、ではなく、「見つからないように隠している内に存在を忘れてしまっていた子供心」です。
(まぁ当たり前なのですが。作者はこれらを大人になってからの感性で小説として書いたわけなので)
私のような、かつては頭でっかちな子供だった現在のオトナコドモは、とても心うたれます。
9編のなかで個人的に特に好むのは「笑い男」「エズミに捧ぐ」「小舟のほとりで」、です。
私は物語が明確に描かれているものの方を好む傾向があるのですが、感性的作品がより好きな方が選べばまた違うんじゃないかと思います。
9編ともどれも本当に良いのですが、本を読みなれていない方が読むには「笑い男」「小舟のほとりで」あたりからがいいかもです。
永遠の11歳な船長にはちょっと早いですが・笑、永遠の17歳ぐらいの方には特にお勧めですので、ぜひ読んでください。
でも現役ティーンエイジャーには、どちらかと言えばライ麦畑の方がいいかな。
数年前に村上春樹さんの新訳で「キャッチャー・イン・ザ・ライ」という題名になって出版されました。現代風になってるそうなので、これがいいかと思います。(定番の白水社刊行のものは確かに古い言葉な感じが否めませんので)
この新訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を私はいつか読もうと思いつつずるずるまだ読んでないのですが、この機会に読んでみようかな。
読んだら改めてご紹介しますね。
「ナインストーリーズ」。
繊細なこころにはとかく生きにくいことが多いけれど、時折休んだらまた歩いていけるといいよね。
本を読む人で、本当によかった!
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